2008年11月18日火曜日

参州で生きるアジアの人々

TIAの健康診断で通訳ボランティア務める
日本語用例集がノート4冊分に
故郷に日本語学校つくりたい
西尾市在住
ネパール人を対象に実施した健康相談会(TIA)で通訳ボランティアを務めた。日本に滞在する彼らの多くが3Kの仕事に従事する。豊田市内にはネパール物産店もあり、三河地域から足を運ぶ。「健康診断にはネパール人を代表して感謝を申し上げます。」

オーバーススティ(不法滞在)者にすれば、病院に行くと通報され、強制送還させられると不安がっている。言葉も分からないから、病気を抱えたままの生活。体を壊す人も多い。田んぼを抵当に、ブローカーに借金して来ている人もいて、送還を一番恐れている。
密入国は犯罪ですが、オーバースティした人は犯人ですか?彼らは日本人がやらないきつい仕事を文句も言わず、体を張って仕事をしている。名古屋の柳橋の中南米女性やテレビ塔下のアラブ人は明らかに犯罪目的で来ている。全て一緒にして欲しくない。単純労働者への期間限定の入国など法的改善策も日本の為だと思う。

貧しいから日本へ来ているというのは大違い。ネパールにはマイホームのない人はいない。ただ日本へ行った人が立派な家を建て、車を買うのを見て、一部の人が贅沢な生活求めて来ている。一年で見つかれば負け、5年以上なら勝ち。まさしくギャンブルの感覚。

■ ふと見た奇妙な文字の看板。それが日本語学校だった。彫刻の仕事と日本語学校との生活。親友と呼べる日本人との出会い。

仕事は10時から5時。その後、毎日二時間通った。三ヶ月の一レベルに授業料は900円。当時、一日50円の収入でしたが、高いとは思わなかった。価値があるものに惜しまないので。ただ2レベルに進む時、授業料が払えなかった。学校の理解があって、延ばしてもらった
日本語への熱意が伝わったのか学校の観めで仕事をしながらだけど、朝晩2時間ずつ教えることに。お小遣い程度でしたが、日本語が学べると思ったので引き受けた。そのうちヒマラヤのトレッキングなどで旅行会社から観光ガイドの仕事も入ってくるようになり、一日千円ほどの収入を得て「日本語」で生活できるようになってから、彫刻の仕事は止めました。他に日本語を学ぶ人たちのための雑誌で文通相手を探したり、日本人観光客を見つけては話しかけたりして日本語を勉強した。中には辞書や教材を送ってくれる人もいた。京都出身の夫婦と出会った。彼らは数回来た事があって、気に入ったようでネパールに住んでみたいと言う。そこで私の隣の部屋を紹介。「もちろん、毎日日本語を話せる」という下心がありました。インドでビザを更新して、結局一年はいた。月5千円あれば、暮らせるので日本人には安い。彼らは今京都で健康食品の営業を営んでいる。
来年七月に帰国。将来の夢は、故郷ブングマティに日本語学校を作り、日ネ辞典を発刊すること。
学校に通っていた頃、教材はなかった。何十年も前のテキストのコピーを利用。用例でも山の手線で切符売りがいた時代。ただ指摘し合ったりして、意識は高かった。給料はほどんど書籍類で費やしている。一番高いので3万6千円の辞書。家にいる時はテレビを見て、わからない用語があると辞書で調べて、例文を書いている。もう四冊分たまった。国民は依存心が強く、援助を当然だと思っている。日本文化に興味をもち、前向きな人生を送ってもらいたい。それが学校設立の理由。言葉をつばさに羽ばたきたいて欲しいから、「つばさ日本語学院」と名づけた。まず私の故郷から意識が変わっていくのを願っている。今の社長とは観光ガイドをしている時に知り合った。ネパールのお寺に魅せられ、何度か。将来日本語学校を作りたいと夢を話すと、日本とネパールの架け橋になる人材を見込んで、呼び寄せてくれた。職場の先輩も一人前になるよう、時には厳しく又優しく支えてもらっている。ネパール人でこういうチャンスはまずないので、とても恵まれている。
後藤真一(三河タイムズ豊田市)

I was born to love you: Anoj shakya

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